平井雷太のアーカイブ

やっていることがしたいこと 2003/10/6

2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された第16回目の記事をご紹介します。

2003年(平成15年)10月6日(月曜日)

やっていることがしたいこと
−「青い鳥探し」やめて見えた−

 私は現在54歳ですが、20代のときに7回転職しました。サラリーマンをしながら陶芸家をめざしたり、コミューンで生活したり、フリースクールを作る運動をしたり、山村留学をすすめる団体で働いたり、水道方式の私塾を主宰した後、公文数学研究センターにも在籍したのですが、自分には向いていないとか、先が見えたりすると、やる気がなくなったりしてやめていました。「したいこと」ばかりをやってきたので、したい仕事がなくなって、何をやっていいかわからなくなったのです。

 求人広告を見ても、どうせすぐにやめるだろうと予測がつき、31歳のときに、「就職しない」と決めました。その当時、多少の貯金がありましたから、それが底をつくまで、なりゆきに身をまかせ、「したいことで生きない」生き方を選ぶとどうなるか実験してみました。「したいことを探さない」と何をしはじめるのか、そんな自分をながめてみたくなったのです。そして、とりあえずは、いま、目の前で起きていることにていねいにつきあっていくことにしました。

 時間がありましたから、長男の保育園への送り迎えをしながら、長男がいつ不登校になってもいいようにと、息子を相手に算数教材を作りはじめました。そして、保育園の父母会からの依頼で、「勉強=遊びという考え方」という原稿を書いたことがきっかけになって、他人の子どもたちもみるようになりました。

 とりあえず始めた教材づくりでしたが、それから10年たったときには、その教材で教室を主宰する人が現れ、現在は全国各地に50近くの教室ができています。7回も転職し、公文をやめたときには、「教育なんて、もうこりごり」と思っていた私が、とりあえず始めた教材づくりでしたが、いまだに続いているのですから、本当は「教育はしたいことだった」と認めるしかありませんでした。そして、目の前の息子の「今」に向き合ったことがきっかけで、教育を20年以上にわたって深く掘り下げていく結果となったのです。

 夢や理想を追い求めず、「今を生きよう」と決めたことで、「やっていることがしたいこと」という定義が生まれ、そう思うことで自分の気分に振り回されなくなりました。そして、「青い鳥探し」をやめたことで、教育改革を机上の空論で考えなくなって、一人ひとりの子どもに寄り添うところから、すべてを発想するようになりました。理想の学校や夢のような教育がどこかにあるわけではなく、今していることの延長にしか未来の教育はありえないと思うようになっていったのでした。

mainiti10-6.jpg