平井雷太のアーカイブ

書かないと学べない 2003/12/23

2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の第23回目をご紹介します。

2003年(平成15年)12月23日(火曜日)

書かないと学べない
−自分の言葉で対等な意思疎通を−
 
「学びとは情報を入力すること」だと思われているふしがあるのですが、どうも入力するだけでは学びにならず、出力すること(=書くこと)をしないと学びにはならないのではないかと私には思えるのです。

 以前、私も講師の話を聞いて、メモを取って学習した気になっていましたが、あとでそのメモを読み返しても、何か書いてあったのかわからないことがほとんどでした。これでは学んだつもりになっているだけで、これが学びになっていたとは到底思えないのです。そこで、メモのなかから印象に残った言葉をとりだし、入力した情報を出力する作業を数年前から続けていました。書くことで情報が生まれ、情報を公開することでネットワークができ、書いたものにいろいろ言われることで、一人だけでは決して気づけないことに気づいていくことができます。そんな実践をしていましたから、先日「大人の学び場」という講座で、次のような提案をしてきました。

 「この講座で起きたことを聞きっぱなしにせず、文章にしてみませんか?」

 「そのままを報告のように書くのではなく、その場で話されていないことや、フッと浮かんだことなど、何を書いてもいいのです。でも、感想を書くのではありません。この場にいない人に伝えるつもりで、自分が何を感じ取ったかを人にわかるように書くのです。そうすると、自分の中で起きた変化や、自分は何に関心が向いたのか、何を人に伝えたかったのかなど、書いているうちにその意味がはっきりしてきたりします」

 「B6力ードの表面におさめるように書き、そこにタイトルをつけるのですが、タイトルを考えることで、伝えたかったことがより明確になります。もちろん講師の私も書きますので、書いた人から順に発表していきたいのですが、いかがでしょうか?」

 「皆さんの発表を聞いていると、ひとりひとりが何を感じ、どういう変化が起こっていたのかがわかります。同じ場を共有しながら、受け取り方が人によって違うことが鮮明になり、それぞれの存在がかけがえのないものに思えてくるかもしれません。今日は『大人の学び場』ですから、講座の最後にちょっと時間をとって、そんな学びの体験をしてみましょう」

 「そうすることで、いままでは、情報を発信する側(教師)と受信する側(生徒)が明確に分かれていましたが、これからは誰もが自分の感じ取ったことを言葉にし、誰もが情報の発信者になっていくでしょう。そして、さまざまな人との対等なコミュニケーションが可能になり、誰からでも相互に学び合っていける社会ができていくと思います」

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