平井雷太のアーカイブ

わからないままでやってみる 2003/8/4

2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の第10回目をご紹介します。

2003年(平成15年)8月4日(月曜日)

わからないままでやってみる
−先の見えないことに挑戦−

 私は一時、「わかることが大事」と思った時期がありました。「なぜ3×0が0になるのか?」「なぜ分数のわり算は、ひっくりかえしてかけ算にすると答えが出るのか?」「なぜマイナス×マイナスがプラスになるのか?」がわからないから、算数が嫌いになる、それができない原因と思い、「わかること」に心血を注いで、授業をしていたことがありました。

 確かにそんな授業をすると、子どもたちは授業に集中しますし、授業を楽しみます。しかし、そんな授業を続けても、「そこで育つものは、わからないことはやろうとしない子どもたち」でした。それとともに、「わかることとできることは無関係であること」「面白いときだけ集中しても、それが自分でやる学習にはつながらない」等々の問題に気がついていきました。

 そして、勉強をするとき、わからないことをやらない理由にする子どもたちの存在が気になってきました。ですから、「なぜマイナス×マイナスがプラスになるのかわからないから、こんなのやりたくない」という子がいると、以前であれば、そのようなことに疑問を持つ子を評価し、これ幸いとその意味を教えるようなことをしていたのですが、まもなくやめてしまいました。そのような子は、学年以上の問題にすすむと、「こんなの教えてもらってないから、できない」というような子と同じであることに気がつき、これこそが、「教え主義」の弊害だと思ったからです。

 私の息子が4歳のときから8年間かけて、息子のためだけに教材(のちに「らくだ教材」と命名)をつくりました。ですから、息子は学校で先生から教えてもらう前に、まず私のつくった教材で学んだのです。

 教材をつくる上で私が心がけたのは、一切説明せず、意味を教えず、まず「できてしまう」でした。したがって、彼にとって学ぶとは、「意味のわからないことをわからないまま、とりあえずやってみる」だったのです。

 どうして、こんな学び方を息子にやってみようと思ったのかと言えば、「できるが先か、わかるが先か」という問題になるのですが、「わかるが先」ではないという結論を、前述した体験から得ていたからです。ですから、「できるが先」を重視し、それをベースにした教材をつくりました。

 その後、この教材を使った教室を開くことになったのですが、子どもだちと対応していて見えてきたことは、点数で評価できる学力が高い子ほど、学校で習っていない単元にすすむことを躊躇する現実でした。そんなとき、次のような話をします。

 「やっと、習っていない単元に入ったね。いままで教えてもらったことがないのだから、できなくて当たり前。だから、できないことははずかしいことじゃない。わからないからやらないではなく、わからないままやることが大事。先の見えないことに挑戦する力は、わからないままやることで育つと思うよ」      (つづく)

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