平井雷太のアーカイブ

「実験」が教育改革のキーワード 2004/11/7

毎日新聞『新教育の森』に連載された記事「一人ひとりの子どもたちへ」の第3回目をご紹介します。

2004年(平成16年)11月7日(月曜日)
一人ひとりの子どもたちへ?B

「実験」が教育改革のキーワード

 私はときどき実験を試みます。人体実験や生体実験などという使い方をされるせいか、教育界では「実験」という言葉に抵抗感がある人もいるでしょう。私が「実験」という考え方を使うのは、物事に行き詰まったときや、先の見えないときなどです。成功を目指さず、いま自分がしていることや、これからやろうとしていることを「実験」としてとらえると、思いもしなかったことが起きたり、自分のあり方が変わったり、事態が勣いたりすることを実際に何度も経験しています。

 例えば前回、「教師がやるものを決めて、やってこなければ罰(低い評価)を与えて」という従来の教師主導の教育を受けつけない2割の子どもたちのことを書きましたが、これは、できない状態のまま、できないものを教師が与え続けた「無自覚実験」の結果なのです。そして、その子たちに対して学校教育はなすすべがなくなってしまったのです。

 2割の学習不能児を生み出してきた教育は、できないことを子どものせいにしています。私は、学ぶものを教師が決めるのではなく、子どもたちに彼らが決めたらどうなるだろうという「実験」をし続けてみました。その結果、多少の障害がある子でさえ、どの子も自分の学ぶものは自分で決められるし、できない状態のまま先のプリントに進みたがる子は一人もいないというのは発見でした。

 「実験」は、「〜し続けるとどうなるか?」「〜しないと決めるとどうなるか?」と、「目標」を持たずにやるやり方ですから、失敗はありません。その対極にあるのが、目標を持って、計画を立ててやるやり方です。これだと目標だけを追うので、思いがけないことが起きる可能性は低く、目標にした以外の結果は、目標とは無関係という意味で「失敗」ということになってしまいます。

 「実験」は、問題や不都合なことが起きても、「こうするとどうなるだろう?」「今度はこう変えてみよう」と、そこに工夫や変化が生まれます。相手の状態や反応をよく見て、自分の考え方ややり方を変えていくので、相手に寄り添うようになり、コミュニケーションの質が変わるのです。そして、うまくいかない理由を相手に求めず、たえず自分のやり方を振り返りますので、自己変革がしやすいのです。

 今こそ教育界に「実験」という考え方を持ち込み、どうしたらすべての子どもたちがいきいきとそれぞれの学び方を身につけていけるのかを、大人が真剣に向き合って、「実験」を繰り返していくときなのではないでしょうか。  (つづく)

hitori-3.jpg