平井雷太のアーカイブ

「原因探し」やめ、意味を考える 2004/12/7

毎日新聞『新教育の森』に連載された「一人ひとりの子どもたちへ」の記事の第7回目をご紹介します。

2004年(平成16年)12月7日(火曜日)
一人ひとりの子どもたちへ?F

「原因探し」やめ、意味を考える

 私のところにはよく「不登校・ひきこもり」についての相談があります。その相談を聞くときには、その子が不登校・ひきこもりになった原因を探さないことと、親を責めないことを意識しています。それは、私自身が長い間うつ病で苦しんだ経験があるからでした。

 以前、私はうつ状態になると、落ち込みの原因をあれこれ考えて悩み、親や環境のせいにしたり、また自分自身を責めたりもしました。いま思うと、そうやって自分や他人を責めることに安住していたようにも思います。

 うつ状態になると、朝起きられなくなって、何もやる気が起こらず、人にも会う気になれず、この状態が永遠に続くような気がしていました。こんな状態を10年以上繰り返したある日、意を決して精神科を訪ねました。すると、大量の薬を処方されました。

 「これを飲み続ければ、一生、薬に依存した生活になるかもしれない」。そう直感して、その薬をそのままゴミ箱に捨てたことが私にとっての転機になりました。

 うつ病を冶すことをあきらめ、うつ病のまま生きることにしたのです。

 そして「うつだから、朝起きられない」から、「うつのまま、決まった時間に、考えずに起きる」ことにしました。また「息子と毎朝走る」「考えてもしょうがないことを考えそうになると、なかなか終わらないジグソーパズルをやる」等々を試みるようになりました。

 そうしたことを続けていたある日、私がうつ病になったことの意味は、「考えてもしょうがないことは考えない」練習をするためだったことに気がついたのです。そして、自分に起きたことの意味が分かると、「うつ状態を肯定する」というふうに変わり、それ以来、「原因探し」の無意味さとその弊害をはっきりと認識できました。

 原因を考えるより、いま自分に起きていることの意味を確認することで、うつのままでも幸せになれるのだと、そんな確信を得たのです。

 「原因探し」をしていたときには、考えられないことでした。自分のいまを否定し、誰かを責めたり、自分を追い込んで、タコ壷から出られない状態になっていたのですが、起きたことの意味を考えるようになったことで、いまを否定しなくなったのです。

 そればかりか、人も自分も責めなくなり、過去に起きたことを悔いることがほとんどなくなって、未来のことを考えるようになったのです。起きたことの意味を考えることで未来が開かれていくのです。         (つづく)

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