平井雷太のアーカイブ

つまずいているところを自分の課題に 2004/2/2

2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の第27回目をご紹介します。

2004年(平成16年)2月2日(月曜日)

つまずいているところを自分の課題に
−「勉強嫌い」作る一斉に同じ宿題−

 私は今まで、自分の教室で多くの生徒と接してきましたが、子どもたちはそれぞれに個性があって、同じことに対しても反応が違い、また、勉強に対しても、できるようになっていくプロセスはそれぞれ大きく違いました。一気に駆け上がる子、コツコツと地道にと進んでいく子、のろのろと同じことばかりしていたかと思うと、突然飛躍する子など、やり方や経過時間はさまざまなのです。

 でも、みんなに共通していることがふたつだけあります。それは、やり方や習得の速さは違うけれども、「人はみな、学びたがっている」ということと、「どんな人でも、続けていれば、その人なりにできるようになる」ということでした。私は長年の経験から、このふたつのことに確信を持てるようになりました。

 学校では、先生がクラスー斉に同じ宿題を出すことがほとんどでしょう。その子の個性やその子の状態と無関係に、みんなが同じものを、同じ量だけ与えられます。一人ひとりの子どもにとって、いまやるべき課題が一人ひとり違うのにもかかわらず、みんなに同じものをやらせるのですから、簡単すぎて物足りない子や、難しくて時間がかかりすぎる子、最初から難しくてできない子などが出て来て、当たり前です。どうして、こんな不合理なことが行われているのでしょうか?

 勉強嫌いになった理由に、「勉強がわからなくなった」ことを多くの子どもたちがあげていますが、それは一斉に同じ宿題を出されるからそうなるのであって、今、自分がつまずいているところを自分の課題として「宿題」にすることができれば、不釣り合いな宿題を持たされて、立ち往生する子はいなくなるでしょう。

 子ども自身が自分の状態に気づき、そのために何を宿題にしたらいいのかをわかるようにしていくことが、教師の役目だと私は思うのです。私の塾では、障害がある子や幼児も含めて、すべての子どもたちが自分で宿題を決めて持ち帰っていますので、教師が一斉に与える宿題の出し方は、子どもの状況を無視した暴力のようにも思えます。教師や親が、「子どもには、それぞれのやり方やペースがある」ということを信じることができたとき、子どもたちははじめて「自分のペースでの学び」を取り戻せるのではないかと思うのです。

 そして、宿題を自分で決めるということを通じて、「自分で自分の課題を見つけ、いま何をしたらいいかということが自分でわかる」という重要な力が育っていくチャンスにもなるのです。

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