平井雷太のアーカイブ

「できない」を恐れず、挑戦して育つ 2004/3/29

2003年5月より毎日新聞『新教育の森』に連載された記事の第33回目の記事をご紹介します。

2004年(平成16年)3月29日(月曜日)

「できない」を恐れず、挑戦して育つ
−傍らで見守ってくれる人が必要−


 先日、人事コンサルタントの柴田励同氏が私の教室に見学に来られて、帰りがけに、ポツリと「いまの企業にはできない社員を救済するシステムがないんですよね。ダメな社員をダメと評価するだけで……」と言われました。その言葉を聞いた瞬間、次世代に求められる「コーディネーター力・コミュニケーション力・情報生産力」という三つの能力は、「できない子(=ダメ社員)」と思われている子だちとのかかわりのなかで育つものだと思いました。ただし、ここでいうところの「できない子」というのは、一般的に言われている「できない子」とは、ちょっと違います。

 一律一斉授業は子どもたちに同じものを一方的に与えますから、一人ひとりみな資質も能力も違う子どもたちに、「できる子・できない子」が出るのは当たり前です。同じものを与えるから差異が生じるわけで、子どもたちが学ぶものを自分で決めると、子どもたち自身の課題は異なりますから、どの子も自分のできないことにチャレンジするようになります。ですから、誰もが「できない子」になるのです。

 それにしても、私の知っている限り、いまの子どもたちは「できないこと」が大嫌いです。できることだけやって、自分はできる子だと思い込んでいる子ほど、わからないこと、できないことから逃げる傾向があります。

 たとえば、らくだ教材で学習していると、できると言われてきた子の大半は、約半年で学年以上の教材にすすみますから、いままで教えてもらったことのない単元を学習するようになります。これまでほとんどの子どもが、学校では、常に「教えられてできる」体験をしていますから、答えを見ないとできない自分が許せなくて、「こんなのやりたくない!」とパニックになったりするのです。これも「教えられ教育」の弊害のひとつでしょう。

 また、自分にとっての「できない」に挑戦していると、必ず通る道があります。「らくだ教材で学習をする」と自分で決めた時点で、どの子も「毎日1枚の教材をする」という約束を自分に課すのですが、決めたことができず続けることが苦痛になり、「やめたい」という気持ちに陥ることがあります。

 そんなとき、「嫌だ、やりたくない」と言う子どもの声に振り回されない対応が要求されます。子どもの学習状況を理解し、責めず、否定もせず、それでいて励まさず、その子の傍らにいて見守ってくれている人の存在が必要となるのです。子どもにかかわる大人のコーディネート力次第で、できない状態も恐れず、わからないこと、さらには、習っていない新しいこと
にも果敢に挑戦していく子どもが育つのです。

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